ブログ開設にあたって

いろいろ考えること

  
 まだ私が若かった半世紀以上前、携帯電話はなく、家庭の黒電話で、ファックスを付けているのもほとんどないという状態でした。個人や組織の情報発信としての「情報誌(ビラ)」はロウ原紙に鉄筆で書き、一枚一枚ローラーで手刷り、そして、直接手渡しで配布か郵送といったものでした。

 しかし、誰かに思いを伝える、情報を発信するなどの手段は、インターネットの普及・拡大により、メールはもちろん、ライン、フェイスブック、ツイッター等々、格段に拡大しています。一方、情報はあふれかえっており、自分にとって本当に必要な情報とは何かを考え、情報等を取捨選択する能力が逆に求められるようになっています

 確かにSNSの普及・拡大は意思伝達を容易にし、便利なツールとなっています。しかし、匿名性ゆえのフェイク等も多く、問題点が指摘され、「ウソを見抜く眼・知識」が必要とされます(これがなかなか難しい)。そして、多くの方が利用するがゆえに個人情報等の盗み取りなどのよきターゲットとされている、さらには、権力による情報収集のかっこうの場となっているとも言われています。そして。最も重要な問題としては個人情報・会社情報がビッグデータとして各企業等に蓄積されている怖さです。そして、すでに犯罪捜査ではそれらのビッグデータが「活用」されているとの指摘もあります。携帯電話会社・銀行等の各企業単位で蓄積されるビッグデータが国家によって統合されたとすれば、それは怖さですまされない、国家による個人管理・監視につながります(この問題は、今後のブログでも提起したい問題です)。

 ラインなどを活用すれば、手渡しビラで案内する数などと比較にならない人に集会や講演などの呼びかけも可能であり、リアルで集会や講演を発信していくことも可能です。そしてその果たす役割は大きく、情報伝達にとって重要かつ必要なツールであることは間違いありません。
 しかし、これはあくまでも私の感想ですが、多くの情報が発信され目の前を流れていき「残るものは少ない」という感じがぬぐえません。

 情報の交換・共有を求め、例えば非常に感動した、よい勉強になった本を読み、誰かに伝えたい、また、経済や政治に納得できないなど、自分の想いを吐き出したい時もあります。
 私も、今年(2023年)で71歳となり、いつまで生きれるかを考えながら生きていく年齢となったこともあります。さらに、自らの意思表示として様々な集会や講演会等に出かけていくことが身体的に制限される状態でもあり、かつてのようなコミュニケーションがはかれないという状態にあります。

 そこで、今後のブログでもその理由等について述べていきたいと思いますが、ライン等ではなく、じっくりと読み・書きができるものの、「一昔前の手段だよ」と言われるような「ブログ」をあえて発信ツールとして選択しました。

 今後、月に1~2回程度は掲載していきたいと思っています。

 読んでいただき、御意見や批判等がいただければ幸いです。

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