●和歌山カレーヒ素事件は冤罪

私の自己批判を含めた問題提起

 LINE等、いわゆるSNSに対する「不信」を拭い去ることができず、今では「古い」「時代遅れ」と言われている「ブログ」で私の想い等を含めた情報を発信したいと2年前ぐらいに皆さんにブログ開設を案内し、数件の問題意識を掲載したのですが、体調不調もあり、更新することができていませんでした。
 この間、袴田さんへの「冤罪」が確定し、あまりにも酷な長期拘留につながった再審請求の見直しがさまざまに論議されることになっています。
 その論議の中で、当時マスコミで連日報道され、皆さんも記憶に残っているのではないかと思いますが、「和歌山カレーヒ素事件」も「冤罪」であるとの報告もされており、私の事件の捉え方を自己批判的に捉えかえす必要に迫られることになりました。
 死刑が確定された2009年5月18日の最高裁上告棄却当時の私の事件に関する捉え方、そして、その後の弁護団からの再審請求について報告し、「和歌山カレーヒ素事件」も「冤罪」ととらえるべきとの私の考え方を提起させていただこうと思います。

★袴田さん「冤罪」=「無罪決定」

 袴田氏は、1966年8月18日に逮捕され、1981年11月19日には最高裁が上告棄却し、死刑判決が確定。第1次再審請求は2008年3月24日に最高裁が特別抗告を棄却して終了。2008年4月25日、弁護団は第2次再審請求を静岡地裁に申し立て。静岡地裁は再審開始を決定、袴田氏は釈放される。しかし、検察官が即時抗告し、2018年6月11日東京高裁は、再審開始決定のみ取消、弁護団が特別抗告。2020年12月22日最高裁は、高裁決定を取り消して差戻し。2023年3月13日、東京高裁は、2014年の静岡地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却決定、検察官が特別抗告をしなかったため、再審開始が決定。
 2024年9月26日、静岡地裁は袴田氏に再審無罪判決を言い渡し、10月9日に検察官が上訴権を放棄したことにより、袴田氏の無罪が確定しました。
 逮捕されてから再審による無罪決定まで、なんと58年もの取り返しのつかない際月が流れてしまったのです。


★「和歌山カレーヒ素事件」も冤罪?!

 この袴田氏の冤罪=無罪決定を受け、再審制度の見直しがさまざまな分野で論議されて来ています。

 その論議の中で、「和歌山カレーヒ素事件」も「冤罪」との報告がされているのを読み、私自身の考え方の見直しを迫られました。
 この和歌山カレーヒ素事件は、1998年7月25日、地域の夏祭りで出されたカレーに毒物が混入され、67人が急性ヒ素中毒に陥り、4人が死亡するとの悲惨な事件であり、数ヵ月にわたり、「お昼のワイドショー」などで連日報道され、週刊誌・月刊誌でとりあげられましたのでまだ覚えておられる方も多いと思います。
 この事件については、被告とされた林眞須美氏の強烈な個性(家まで押しかけ話を聞こうとするマスコミ関係者に「返れ」とホースで水をかける眞須美氏の姿が全国のテレビで流された)やカレー事件とは別件の「保険金詐欺」での逮捕といったこともあり、メディアの報道も受け、眞須美氏は「毒婦」と呼ばれる状況でした。
 私自身も、無意識のうちにメディアの影響を受けたのか、「眞須美被告は黒」との印象が拭い去れなかったのは事実です。
 しかし、今なお「死刑」が刑法に明示され、死刑制度が残っていることには反対であり、即時死刑制度の廃止をするべきと思っていますが(このことについては、別途このブログにも私の問題意識を提起したい)その基本的な問題は別として、あくまでも裁判判決として眞須美被告を死刑とした地裁判決、その地裁判決をほぼそのまま踏襲し最高裁が死刑判決(上告棄却)を出したときには、完全に間違った判決であり、「黒に限りなく近いと思われるがあくまでも灰色であり、灰色である限り「疑わしきは罰せず」として『無罪』であるべき」との考えから、最高裁判決は大きな誤りを犯したと捉えていました。

★眞須美被告死刑判決当時私が「灰色」であり「無罪」と捉えた根拠

 私が「灰色」であり「疑わしきは罰せず『無罪』と考えた根拠は下記の3点です。


① カレーにヒ素を入れ、人を殺そうとした動機・目的がまったく明らかにされていない。
② 眞須美被告がカレー鍋にヒ素を入れたことも何ら立証されていない。
③ 眞須美被告宅にあったヒ素とカレーに入れられたヒ素が同一であったとする判決の問題点。


 以上の3点につて、判決で有罪の立証ができていない、物証の捉え方に問題がある、と捉えた項目です。
 以下項目ごとに少し詳細に見ておきたいと思います。

①について
  ⇒ 判決において裁判所は「動機が不明確である等の事情は、極めて高い蓋然性で推認される被告人の犯人性の判断に影響を与えるものではない」と述べ、最高裁も「動機未解明」のまま死刑を確定した。

②について
  ⇒決定的な目撃証言として当時16歳の少年が二ヶ月以上も経ってから「眞須美容疑者がピンク色の紙コップを持ってカレーを調理しているガレージに入っていった」と証言し、マスコミはこの目撃証言を大きく取り上げ、少年はテレビの報道番組に出ずっぱりであった。しかし、その後この少年はぷっつり姿を消し、さらに、これだけ重要な証言にもかかわらず検察は裁判の証人としていない。

③について
  ⇒検察も裁判所もこの事実をもっとも有力な眞須美犯人の根拠としている。
  ⇒このヒ素が同一ということは眞須美犯人説の有力証拠とされ、世論も眞須美犯人説に大きく傾いたといえます。
  ⇒しかし、眞須美被告がカレーにヒ素を入れたことが立証されない限り、この「ヒ素の同一」が眞須美被告の有罪には結びつきません。

  ⇒同一とされたヒ素が眞須美被告が作ったものであるなら、確かに決定的ともいえる有罪の物証になるかもしれません(それでも、眞須美被告がカレーに入れたことが立証されない限り決定的な眞須美被告の有罪立証とはならないでしょう、眞須美被告宅のヒ素をまったく別人がカレーに入れたこともないとはいえません)。

  ⇒しかし、ヒ素は工業製品として大量に作り出すもので、少なくとも○○会社の同一の工場で同じ原料で同日に製造されたヒ素は当然「同一のヒ素」であり、ドラム缶で何十個として製造されます。しかも眞須美宅にあったヒ素は中国から輸入されたもので、同時に50㎏入りドラム缶が日本(大阪)に60缶輸入され、この輸入ヒ素の大部分が500㌘ずつ瓶に小分けされ和歌山市内でも販売されていたとのことです。そうであるならば、当時はまだ、殺鼠剤、シロアリ駆除、農薬、みかんの減酸剤として使われており、事件当時「同一のヒ素」がどのように販売され、どこにあるのか、少なくてもカレー事件の地域と周辺地域には「同一ヒ素」の有無を明らかにする必要があります。

  ⇒以上のように、眞須美被告宅のヒ素とカレー混入のヒ素が同一であることのみで眞須美被告有罪とはならないのです。②の眞須美被告がカレー鍋にヒ素を入れた、このことが立証されない限り、眞須美被告有罪とはなりません。

★私が死刑判決当時の「灰色」=「無罪」と捉えた誤り

 上記のとおり、最高裁判決が出た当時(2009年)、私は、和歌山カレーヒ素事件に関して「限りなく黒に近い灰色であり、灰色である限り『疑わしきは罰せず』として『無罪』とすべき」と捉えていました。
 その後再審請求がされたとの情報は見ておりましたが、再審請求内容等を検討することはしておりませんでした。
 今回、袴田さんの「冤罪」が確定する中で、再審請求の問題点等が多くのメディアで取り上げられ、「和歌山カレーヒ素事件」についても、「冤罪である」として再審請求がされていることを知りました。
 同じ「無罪」であるとしても、『冤罪』と『灰色であるが、疑わしきは罰せず』とは大きな相違があります。
 最高裁判決当時、私もマスコミ報道等により、「眞須美被告がヒ素を入れたのでは?」との捉え方をしてしまい、「黒に近いが灰色である。灰色である限り『疑わしきは罰せず』で、それゆえ『無罪』」とすべきとしており、事件情報が限られていたとはいえ、大きな誤りを犯したといわねばならないように思います。

★和歌山カレーヒ素事件も『冤罪』!
 ーくつがえる死刑判決のもっとも重要な根拠
 ー「眞須美宅ヒ素とカレー混入のヒ素は『同一ではない』」

 再審請求は、「眞須美被告宅のヒ素」と「カレーに混入されたヒ素」が『同一』とのもっとも重要な判決の根幹に関するもので、「眞須美被告宅のヒ素と、カレーに混入されたヒ素は『同一ではない』」という、有罪判決そのものを否定するものとなっています。
 この再審請求の根幹である「ヒ素の不同一」を明らかにしたのは、京都大学大学院工学研究科の河合潤教授で、河合教授はヒ素分析等の蛍光X線分析の研究でその第一人者とのことです。
 弁護団は、河合教授によるヒ素鑑定に対する反証を盛り込んだ「再審請求補充書」を2013年2月に提出、2014年3月には河合教授の「和歌山カレー事件鑑定書」を和歌山地裁に提出しました。
 しかし、和歌山地裁は2017年3月29日に、地裁段階でヒ素を「同一」とした「仲井鑑定」について、「(仲井鑑定)の証明力が減退したこと自体は否定しがたい」としつつも、「それだけで有罪認定に合理的な疑いが生じるわけではない」とし、再審請求を却下しました。
 弁護団は、大阪高裁に即時抗告を行うとともに、ヒ素鑑定を行った仲井氏らを相手取り、計6500万円の損害賠償を求める民事訴訟も起こしたとのことです。
 眞須美被告有罪の根幹をなす「眞須美被告宅とカレー混入のヒ素の同一」との事実がくつがえされているにもかかわらず、「鑑定の証明が減退した」しかし「有罪判決の合理的な疑いは生じない」とした地裁の再審棄却は科学的事実を否定するもので「暴論」としかいえず、断じて許されないと言わねばなりません。
 「和歌山カレー事件鑑定書」を提出した京都大学河合潤教授は、「鑑定書」とは別に、独立した書籍として「和歌山カレーヒ素事件判決に見る裁判官の不正」を執筆されています。この書籍では、ヒ素の分析方法等、科学的・具体的記述も多く、数字を使った科学的分析等を読みこなすのはかなり難しいですが(私は化学・物理や宇宙論等好きなのですが、数学がでてくるとお手上げです)、この書籍で河合教授は「死刑判決の根拠は、ヒ素鑑定である。しかしヒ素は検出されていなかった。裁判官は、その鑑定が間違っていることを知っていた」として、「裁判官によって冤罪がつくられた」ことを証明されています。

 第2次再審請求は、2017年3月29日に和歌山地裁が「再審請求棄却」し、弁護団は即時抗告。
 大阪高裁は、先月27日に再審を認めない決定。
 弁護団は先月29日付けで最高裁に特別抗告。
 という流れになっています。
 また、有罪判決の決め手となったヒ素の鑑定結果に誤りがあると主張し、和歌山地裁に3回目の再審請求をして、これも審理が進んでいるとのことです。

 以上のとおり、和歌山カレーヒ素事件も「冤罪」であるとの弁護団の主張には説得力があり、最高裁等の再審請求棄却の論点はあまりにも杜撰であり、ヒ素の同一性という基本的な問題についても弁護団の具体的な問題点指摘に具体的に反論することもなく(反論できなく)、「(有罪判決の根拠とした)ヒ素同一との証明が減退した」としつつ、何ら具体的分析もせずに「有罪判決の合理的な疑いは生じない」としていることは、死刑という人の命を奪う極めて重い問題に真っ正面から応えようとしないもので許されない暴挙としかいえません。
 
 以前の「和歌山カレーヒ素事件」を「無罪」とすべきとしつつも「冤罪」とはとらえていなかった私の自己批判とともに、やはり「冤罪」として無罪要求をしていかねばならないのではないかとの私の見解を提起させていただきました。
 反論や意見があれば提起していただき、相互に論議していくことができればと思います。

2025年6月26日掲載

【参考文献】
△「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実
 田中ひかる 著  ビジネス社

△和歌山カレー事件 真実を解き明かす
 加藤幸二 著   キンドル版

△和歌山カレーヒ素事件判決に見る裁判官の不正
 河合 潤 著 京都大学名誉教授
 現代人文社 

●アメリカの国家秘密の漏洩

 この間、各メディアでアメリカの国家秘密が漏洩したと大きく報道されています。誰が漏洩したのかはほぼ特定されているようですが、漏洩させた狙いや目的等はよく分かっていないようです。
 この漏洩事件に関して、個人情報から国家機密に至る全ての「秘密」「機密」は結局は最終的に「人」の問題たることがより鮮明になったのではないかと思います。

☆絶対に解読されない暗号化?

 かなり以前ですが、朝日新聞で絶対に解読されない暗号化技術が開発され、実用化されるようになる、との報道がありました。
 しかし”そうなのかな”という疑問がありました。その疑問は下記のとおりです。
ご意見をお聞かせいただければ思います。

 一つの暗号化されたファイルとしてそのファイルが盗まれたとしても解読できないということはありえるかもしれません(しかし、絶対解読不可能とされていてもその暗号を解読するソフト等が開発される可能性もあると思いますが)。
 ただ、解読できないファイルとして存在しても、そのファイル内容を見ることができない限りそのファイルの文章内容はまったく意味をもちません。国家の最重要秘密だったとしても最低限の限られた人数の人はそのファイルを読むことになるでしょう。誰もが読むことができなければそのファイルの存在意義はないでしょう暗号化する意味もありません。

 だとすれば、その「絶対解読できない暗号化」を解読できる「解読キー」が存在するはずです。それを入手すれば暗号解読につながります。
 また、解読できるコンピューターを操作できる個人になりすまし、そのコンピューターに入り込めばファイルの暗号を解除することも可能ということになります。顔認証、指紋認証等々によりセキュリティーが頑強に設定されていても、専門家によれば、それらをかいくぐる対処方法はあるとのことで、現実的にも、顔認証等があるコンピューター室に侵入されたという事件も報告されているようです。となれば、「絶対解読できないファイル」の閲覧も可能となるでしょう。

 さらに、最初に見た今回のアメリカでの機密情報漏洩事件のように、不正なパソコンへの侵入なり解読できる個人へのなりすましによる情報取得といったことがなくても、正当に極秘情報を入手できる当人が機密情報漏洩に関われば、いかなるセキュリティー強化も意味がなくなることになります。

結局「人」の問題

 情報漏洩を防ぐためには、コンピュータを含め、ハード面のセキュリティー強化が必要なのはいうまでもありませんが、最終的には「人」の問題になるのではないかと思います。
 それゆえ、今日の高度な情報化社会での機密漏洩問題は、いかに「人」の管理・支配を完璧にしていくかにかかっているといえます。
 結局、今日の高度情報化社会は、管理・監視による人の支配強化に結びつき、強権的な管理社会をつくり上げていくことになるでしょう。

※次回から、AI=人工知能について考え、つぶやいてみようと思います。

●ネットでの個人情報漏洩の怖さ(2)GPS位置情報

 前号のブログの続きです。
 この問題も以前に重要な個人情報漏洩につながる危険性を指摘しました。

 コロナ感染が拡大し、外出の規制要請が出されている中で、テレビ等のメディアでは従来都心の人通りの多いハチ公前の交差点などのコロナ感染がなかった頃と、感染が拡大した現在の映像を対比し、いかに外出している通行人が減少しているかが報道されていました。
 この情報は交差点に設置された監視カメラ映像を見て通行人の数を数えるといったアナログ情報ではありません。
 各携帯電話会社のGPS位置情報を「活用」したものです。

 このGPS位置情報の活用は、子どもが行方不明となったとき、捜査機関が子どもがもっているスマホで子どものいる地点を確認していることがテレビなどで報道されており、非常に役立つ情報と受けとめられている方も多いと思います。
 確かに、使い方によっては役立つ情報であることは間違いありません。

 しかし、ある地点のGPS位置情報を取得することは、その交差点を横断している全ての人が○月○日○時にハチ公前の交差点を歩いていることを明らかにするものです。ただ、多くの人の情報ではありますが、あくまでもAさん・Bさんといった一人一人の位置情報が基本となってそれの合計がコロナ以前とコロナ後のある日時の対比として報道されていることになります。AさんならAさんという個人を特定した位置情報ですので、当然携帯電話会社に届けられているAさんの個人データ(氏名・住所等)とセットになっています。

 このことは、逆にAさんが今どこにいるのかを検索することも可能ということです。これは犯罪捜査における容疑者がどこにいるのか居所検索に「活用」されています。そして、各メディアは容疑者確保の重要情報として何の疑問もなく警察発表をそのまま報道しています。
 ジャーナリズムの使命としては、少なくとも各携帯会社のビッグデータを活用する行為について、「このような個人の位置情報の検索は裁判所の許可を得て、犯罪調査に絞るべき」とのテロップを流すことも必要ではないかと思います。そのテロップを見ることで個人情報漏洩に対する危機感を持つ人も出てくるでしょう。

★誤認逮捕につながった事例も 

 アメリカのことですが、GPSで殺人事件のあった現場にいたことが確認されたとのことでXさんが逮捕されました。Xさんは傷害の「前科」があったこともあり逮捕に至ったとのことです。
 しかし、他の事件で逮捕されたY容疑者がXさんが犯したという殺人事件の犯人であるとの自供があり、Xさんの無実が明らかになった事例があるそうです。
 また、ある個人を特定し、その個人の行動範囲を24時間、毎日、記録しておくこともいともたやすくできることになります。

 これらのように携帯のGPSは、確かに非常に便利な機能を提供してくれますが、個人情報の漏洩につながる怖さを持っていることも充分承知しておく必要があると思います。

以上

 

●ネットでの個人情報漏洩の怖さ(1)私の体験

 ネットの怖さはよく指摘されます。
 それは国家の秘密漏洩ということから、ある国家が別の国家の首相の携帯電話の盗み聞き、軍事機密の漏洩など、国家間の政治問題に関わる重要な問題も現実化しています。

 国家の機密情報漏洩というほど大きな問題ではないものの、いわゆる悪質なハッカーにより個人情報(単に氏名・住所だけではなく、カード番号や銀行口座等も含めて)が盗まれ、その個人情報売り買いされていることも重要な社会問題となっています。じつは、以前にも報告しているのですが、数年前に私もその個人情報漏洩の「被害者」になりました。

 私がプリンターのインクカートリッジ等を購入している文具のネット通販会社から、「お詫び」のメールが届き、お客様情報がハッキングされ盗まれたとの連絡がきていました。その連絡では盗まれた個人は把握できていないとのことでした。

 私の個人情報も盗まれていたことが分かったのは、カード会社から私のカードが不正に使われている可能性がある、それゆえカード使用について確認したい、との電話でした。 
 ただ、このような電話によって個人情報を取得しようとする悪質な電話もあると聞いており、「せっかく連絡していただいており申し訳ないですが、こちらからカードに記載されているコールセンターに電話します。どこの部署のどなたにつないでいただければよいかを聞かせてください」と話をし、接続先を聞き、私の方からカード会社に連絡し、具体的な話を聞くことになりました。

 契約者が行ったのではないと思われる支払請求がきており、確認のため電話した、本日○○時にカードでの買い物をしていただいているか、とのことで、私は今日は一度も買い物はしていないと回答しました。
 どこからかはカード会社ではわかないが、あなたのカード番号とパスワードが盗まれた可能性が高い、とのことで、当然今回の引き落としはしない、カード番号とパスワードどちらもの変更が必要となり、変更届を郵送するので必要事項を記入して返送してください、となりました。
 カード会社が不正取引を見つけてくれたおかげで、金銭的な実損はありませんでしたが、このカードを他の引き落としにも使っており、それらのカード及びパスワードの変更手続きに結構時間を割くことになりました。

《カード会社の責任も》

 悪質なハッカー等による個人情報の盗み取りが社会的な問題となり、ハッカーによる盗み取り行為に個人情報漏洩の責任があるのは当然としても、カード会社も不正な請求に何らかの対応策をとるべきではないかとの指摘も出されてきました。
 上記のような不正請求に対する私への連絡は、このカード会社の対応の一つであると思われます。
 どのように不正請求を判断しているのかは「企業秘密?」かもしれず詳しいことは分かりませんが、カード会社も何らかの対応をしていることは今回の私への確認電話対応でよく分かりました。よいことだと思います。

《しかし、怖さも》

 カード会社の不正請求に対する対応は具体的に明らかにされいないようですが、専門家等により対応策の一つではないかとされていることに少しの怖さがあります。
 その不正請求を見分ける方法は、カード会社のデータベースに私の請求実績が保存蓄積されており、私の購入傾向(どのような物を多く購入しているのか)やどこで購入しているのかといったデータと対比し、今まで購入したこともない物品の請求や、ネット通販での主な購入先と異なった取引、さらには私の住所と遠く離れた場所での購入などがあれば不正請求を疑うということのようです。
 このことにより不正請求が発覚し、不正請求の抑止にもつながるならよいことだといえますが、個人個人のカード使用履歴がビッグデータとして蓄積され、それが盗まれる危険性がないとはいえません。また、詐欺メールなどの犯罪捜査にカード会社のビッグデータが「活用」されては、個人情報としての重要な金銭の流れ、物品購入実績から判断される生活状態、さらには購入書籍等による思想傾向さえも暴かれることにつながりかねません。
 その意味ではカードの不正請求が防止されるというメリットはあるものの、一方では個人が丸裸にされてしまう危険性もはらんでいるといえます。

以上

 

●そぼくな疑問と批判(「北朝鮮」の核武装に関して)

<疑問>

 「北朝鮮」のミサイル発射が繰り返されており、核爆弾もすでに配備されているとも言われています。
 そのことも含め、国連決議に基づき「北朝鮮」とのほとんどの貿易が禁止されるような「制裁」が課せられ、日本政府もその「制裁」に加わっています。
 私も、「北朝鮮」の核武装化には絶対反対です。もし核爆弾があるなら即刻廃棄し、さらなる生産・開発もすべきではないと思います。
 その理由は、「核と人間は共存できない」、「核爆弾」も「原子力発電」も絶対反対という立場であるからです。

 アメリカなどは、世界中の人間を何度も殺せるほどの核爆弾を保有しており、そのアメリカが「北朝鮮」の核保有は許さないと「制裁」を主導しているのです。
 繰り返しになりますが、私はいかなる国も核保有は許されないという立場ですが、核を「持ってもよい国」「持ってはならない国」とに分けること自体、大きな誤りと考えています。
 アメリカ、ロシア、中国等の大国と言われる国家は核保有をゆるされ、「北朝鮮」のような「小国」は持ってはいけないなど、国家の主権も認めない暴論でしょう。
 少なくとも核保有国が「北朝鮮」の核保有を認めないと制裁等をするならば、自らの核を廃棄すべきです。すぐに廃棄ができないとしても最低限廃棄に向けての道筋を示して他国の核廃棄を求めるべきです。

 「北朝鮮」は「ならずもの国家」であるから核保有は許されないということもいわれています。しかし、アメリカが主導し当時のフセイン政権の壊滅、国家そのものの破壊へと突き進んだイラクへの武力侵攻は、「大量破壊兵器をイラクが持っており、それを使用する可能性がある」ことを大義名分にしていましたがそれがまったくのウソであったことが明らかになっています。まさにアメリカこそ「ならずもの国家」です。
 さらに、イスラエルのパレスティナに対する対応は、まさに「ならずもの国家」といえるでしょう。そのイスラエルも核を保有していると言われていますが、査察実施、制裁の実施は行われていません。

 日本は国内にアメリカ軍の基地もあり、アメリカの「核の傘」に入っているとの問題もありますが、一応核を持たない国として「北朝鮮」に対し核廃棄を求め、制裁する「資格」があるともいえるでしょう。しかし、それを主張するならアメリを含め核保有国に対して核廃絶を求め、核廃絶に応じないなら国連にアメリカ等の核保有国に対する「制裁」を求めるべきことになります。「北朝鮮」のみに核廃絶を求め「制裁」を実施することは「何の大義もない」といえると思います。

<批判>

 以上のような「北朝鮮」に対する核保有を許さない制裁実施に対し、日本の(他の国もそうですが)新聞やテレビ等のメディアはそれを当然のことのように報道しています。
 しかし、上記のとおり、核を「持ってもよい国」「持ってはならない国」と選別する根拠などありません。核保有などは絶対反対ですが、主権国家として「持つ」「持たない」はその国が自主的に決定すべきことです。
 それゆえ、あえて言えば、「北朝鮮」に核廃棄を求めるなら、すべての国の核保有禁止を求めなければならず、アメリカ等の核保有を認めるなら、「北朝鮮」を含め、ずべての国の核保有を認めるべきとなります。

 難しい理屈はいらないのではないでしょうか。簡単かつ当たり前のこととして、核をもつ国が他の国に対して「核保有禁止」などとはいえない。これは、ある意味では一般常識として考えればすむことです。
 この極めて常識的なことを指摘せず、各メディアは核廃棄に応じないことを「北朝鮮の蛮行」として「北朝鮮」批判を続けています。
 これでは、ジャーナリズムの「死」といわれてもしかたないのではないでしょうか。

 私としては、「北朝鮮」の核保有に絶対反対です。しかし、日本政府やメディアの一方的な「北朝鮮」批判には納得することはできません。それゆえの「つぶやき」です。
  

●維新の会「伸張」に関するつぶやき(2)

2 維新新自由主義的緊縮政策の帰結

★医療福祉等の支出削減にかかわらず大幅な借金増加

⇒ 財政再建のための緊縮政策として、府民の生活に直結した医療、福祉、教育、子育て、中小企業支援などの財政支出をつぎつぎと削減した。その額は、2008年からの7年間で1551億円、年間で平均220億円の支出削減。
⇒ しかし、府民生活を支える財政支出をカットしたのに、大阪府の財政は再建どころか、いっそう危機を深刻化させ、この同じ7年間で、負債=府の借金を残高を5兆8288億円(2007年)から、6兆4136億円(2014年)へと、5848億円も増加させてしまった。
⇒ 年間220億円もの支出カットを強行しながら、なぜ膨大な借金を重ねたのか
→ 府の収入、つまり税収が劇的に減少してしまった。
→ 税収減少の原因は、府民の生活や大阪経済を支える中小企業を支援する
財政支出を大幅にカットしたため、府民の消費は冷え込み、中小企業の経
営は悪化して、この7年間大阪経済はますます停滞と深めた。
⇒ 維新政治は、新自由主義的「改革」の絵に描いたような失敗例。

★起死回生としての「大阪都構想」「夢洲カジノ万博」

⇒ 維新政治による大阪府の深刻な財政危機と大阪経済の停滞を糊塗するために、起死回生の打開策として打ち出したのが、「大阪都構想」と「夢洲カジノ万博」です。
→ 「大阪都構想」は、維新政治が新自由主義的緊縮財政という自らの失政で府財政に開けた年間2200億円税収減という大穴を、大阪市を廃止し・解体することで埋め合わせる、という狙いがあります。
→ さらに問題なのは、維新政治がみずから招いた大阪経済の長期停滞をカジノと万博によって打開しようというその頽廃ぶりです。

3 コロナ・パンデミックと大阪維新政治

★脚光を浴びる吉村府知事

⇒ 安倍政権の愚策ともいえるコロナ対策のあまりにひどい体たらくが引き立て役となって、連日メディアに登場する吉村知事が脚光を浴びることになった。
⇒ 大阪独自の施策を具体的に提起するのではなく、パフォーマンスとしての政府施策への不満、批判でしかなかったが、安倍政権の無策であるがゆえに政府施策への批判は一定の説得力があり、吉村府知事の「人気」を高めることにつながった。
⇒ 維新として大阪の施策として提起されたのは、唐突の「阪神間往来自粛要請」、防護服の代用としての「雨合羽募集」、さらにポビドンヨード入りうがいクスリ「イソジン騒動」(イソジンがコロナに有効とのうそ)であり、これまた愚策のオンパレードであり、吉村府知事・松井市長とも何らその「効果」の説明も、「イソジン騒動」への謝罪もなかった。このように嘘も平気でつき、謝罪もしないのは他の問題においても維新の常套手段である。

★大阪におけるコロナ対策の逼迫原因

⇒ 新自由主義による維新政治の中で、貧困と格差の拡大、公衆衛生や医療体制の絶望的な脆弱化が大阪におけるコロナ対策の遅れをもたらした。
⇒ 維新政治の12年間で、府下の公務員の病院職員数は50.4%も削減され(全国平均は6.2%)、衛生行政職員も4分の3にまで減らされた。
⇒ さらに、「二重行政の解消」の名のもと、「都構想」を先取りするかのように住吉市民病院を廃止するとともに、PCR検査などを担うべき府立公衛研と市立環科研を統合し、研究員や職員を3分の2まで削減した。


※ 橋下氏の「自己批判」(ツイッター)
病院職員の大幅削減等々について、「徹底的な改革を断行し、有事の今、現場を疲弊させているところがあると思います。保健所、府立市立病院など」「有事の際の切り替えプランを用意していなかったことは考えが足りませんでした」と橋下氏はツイッターに書き込んでいるが、松井・吉村氏からは反省の弁はいっさいない。

★大阪府のコロナ死者数は全国で断トツ

⇒ 前述しているとおり、維新の新自由主義的「改革」により、大阪における医療や公衆衛生の現場が疲弊し、それによって全国最悪の医療崩壊と感染拡大がもたらされた。
⇒ 大阪府の100万人当たりのコロナ感染者数は、2022年4月現在で約515人であり、全国平均の約218人の2.4倍と全都道府県中で断トツの一位
⇒ 大阪市にいたっては、約660人で全国平均の3・0倍にも上っている。
⇒ 吉村府知事は、メディアを有効に活用し、無策の安倍政権の攻撃の隙をみつけ、それを攻撃することによって「人気」を得ているが、維新政治が医療崩壊をもたらした結果、大阪がコロナ死者数で全国一位であることの反省も事実も明らかにしていない。

★維新は、モンスター的集票マシン

⇒ 維新は「風」だのみのポピュリストではない。堅い組織票を誇る組織勢力であることをきっちり認識することが重要。
⇒ この組織票の集票マシンとなっているのが、大阪府下において239名(2021年11月15日現在)にものぼる地方議員たちである。
⇒ 「産経新聞」報道によれば、各議員に1人1日600電話、300拍手、10辻立ちのノルマを課せられているとのことである。
⇒ この239人の地方議員たちが、1日600本の電話を掛ければ1日あたり14万本あまり、衆議院総選挙期間の12日では、約172万本となる。この数字は、維新の比例得票数と奇しくも付合する。

★橋下氏の「政権奪取論」の怖さ

 前のブログの先頭に記載しておりますが、再度、橋下氏の「政権奪取論」の怖さを掲載しておきます。
⇒ 橋下氏の著書「政権奪取論」(朝日新書)では、「きれい事無用、政治の本質は敵との対立だ」、「自分の価値観や政治信条などは政権を取ってからしか実現できない。まず、政権を取ることことが重要」、「今のご時世、政治家が個人の思いを語ったところで、有権者は誰も振り向かない。有権者が引きつけられるような日本の新しい道、選択肢を熱く語るべきだ。そのためには、徹底した『政治マーケティング』が必要になる」と記述している。
 要するに選挙においては徹底した「大衆迎合」で、自らの主張などはいう必要がないと言うことであろう。
⇒ そして、極めつきは「現実の課題に対応するために、これまでの主張に反することを、どう有権者にバレないようにやるかという政治技術-政党が持ち合わせなければならない最も高度な政治技術」だと説いている。

 

 以上、「日本維新の会をどう見るか」第一章の要約抜粋です。
 これに続き、第2章「維新政治をめぐる政策的争点」、第3章「維新政治、『改革』の幻想と実態」が提起されています。
 第2章では、大阪維新が進める学校・保育所の統廃合問題、「大型開発」(夢洲・カジノ)問題、そして「都構想」の問題点等を具体的に提起されています。
 第3章では、大阪で維新が実際に行ってきた施策や言動を振り返りながら、その本質を明らかにしつつ、なぜ大阪の有権者は維新を支持するのかいう疑問に応えようとしています。3章では、「維新のフェイク」の数々も紹介されており、こんなことをよく平
気でテレビなどで発言できるなと驚いたことを1つだけ紹介しておきます。

★「退職金ゼロ」のウソ
 維新が実践した「身を切る改革」として常に語られるのが、「退職金ゼロ」です。
 松井大阪市長は、総選挙での「政見放送」でも「退職金なんてない」と語りました。しかし、これは大ウソ・フェイクであり、「退職金ゼロ」の真実は下記のとおりということです。本当にこのようなウソをへいきで、しかも「政見放送」で言い切れることに怖さを感じます。
 「退職金ゼロ」の真実は、確かに退職金制度を廃止しているのですが、その支払われるはずの退職金を4年間の毎月の報酬に分割して上乗せしているのです。これが一時金にも跳ね返り、実際には348万円の増収となっているとのことです。
 このような「ウソ」をへいきでならべたて、なにがなんでも議席を確保さえできれば勝利であるとの上記の橋下氏の「政権奪取論」が背景にあるのは間違いありません。
その他維新のフェイクの具体例も第3章に記載されています。

 以上、「日本維新の会をどう見るか」の第1章の簡単な要約抜粋を行い、書籍紹介をさせていただきました。
 トランプ前アメリカ大統領、フランス極右のル・ペン氏と同様「不寛容なポピュリズム」である維新が衆議院・参議院選挙での「躍進」により大阪地域政党的存在から全国的な組織へと「飛躍」してきています。その意味では全国的な問題として維新をどう位置づけ、どのように維新と向かい合うのか(対決するのか)が問われていると思います。
 ヒットラー・ナチスも軍事クーデターのように軍の武力で強引に政権を獲得しファシズム体制を築き上げたのではありません。多くの浮き沈みを繰り返しながら、国民の即時的な欲求や要望を組織し選挙で国会の多数派を占めるという「正当な民主主義手続」で政権を獲得しています。
 維新の創設者でもあり、今も大きな影響力を持っている橋下氏の上記の「政権奪取論」で展開されているように、政権を執るまでは大衆迎合に徹し、政権を執ったなら「民主主義は多数決」として選挙中に主張した政策等に反したとしても好きなように政策を展開する、という主張は、どうしてもナチスの政権獲得の教訓から大きな危惧と不安を覚えます。
 そのような意味でも、維新を知ることは重要ではないかと考え、これからはじめようとしているブログの最初に以前の書籍紹介を転載しました。

                                    以 上

●維新の会「伸張」に関するつぶやき(1)

 ブログ開設の最初に「維新の会」を取り上げるには抵抗がありますが、やはり、維新の会の伸張には大きな怖さを感じざるをえず、なんとしても維新の伸張を止めなければならないとの思いで、維新の会に関する「つぶやき」を掲載することにしました。

※以下の文章は、今年の8月に「日本維新の会をどう見るか」(著者:富田宏治・中山徹・中山直和 発行:学習の友社)の書籍紹介として第一章を簡単にまとめたもののほぼ全文を掲載しています。

「日本維新の会」伸張の怖さ

維新の会元代表・橋下氏の主張

 ブログを開設し、「つぶやき」を掲載していこうと準備をしてきましたが、やっと公開という段階になって、各地の知事・県議等の統一地方選挙が行われ、日本維新の会(以下、「維新」と略)が大阪だけでなく他の地域でも当選者を増やし、維新が大きく勢力を伸ばしていることが明らかになりました。

 維新の「怖さ」とは何かということになりますが、まず第一に、「維新」の元代表であった橋下氏の「政権奪取論」(朝日新書)においての主張です。そこで、
・「きれい事無用、政治の本質は敵との対立だ」、「自分の価値観や政治信条などは政権を取ってからしか実現できない。まず、政権を取ることが重要」。
・「今のご時世、政治家が個人の思いを語ったところで、有権者は誰も振り向かない。有権者が引きつけられるような日本の新しい道、選択肢を熱く語るべきだ。そのためには、徹底した『政治マーケティング』が必要になる」としています。
⇒要するに選挙においては徹底した「大衆迎合」(ポピュリズム)で、自らの主張などは言う必要はないということのようです。

 第二に、極めつけとして、「現実の課題に対応するために、これまでの主張に反することを、どう有権者にバレないようにやるかという政治技術-政党が持ち合わせなければならない最も高度な政治技術」だと説いています。
⇒選挙においては、ポピュリズムに徹し、大衆の要求等に寄り添うポーズを取り、当選すれば、選挙中の主張と反する施策等をバレないようにするのかが政党の政治技術、としているのです。

「組織されたポピュリズム」

●維新の支持層は、巷間いわれているように「ふわっとした民意」とか「格差に喘ぎ、現状打破を求める若年貧困層」ではない。
●維新の支持層は、「都心の高層タワーマンションは郊外の戸建て住宅に住む『勝ち組』意識を抱いた中堅サラリーマン層や自営上層の人々なのです。」
●税や社会保険などの高負担とそれに見合う公的サービスを受けられないことへの不満や、自分たちが払った税金や保険料を食い潰す「年寄り」や「病人」や「貧乏人」への怨嗟や憎悪の感情を掻き立てることによって、中堅サラリーマン層や自営上層の「勝ち組」意識に基づく社会的分断を意図的に作り出してきた。
⇒ 衆議院千葉一区から維新公認候補として擁立された元フジテレビアナウンサー長谷川豊氏の発言に見られるような煽り発言
 ▲維新・長谷川氏発言
   「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ! 今のシステムは日本を滅ぼすだけだ!」

「不寛容なポピュリズム」としての維新政治

 「不寛容なポピュリズム」とは、「ポピュリストたちは、人々の間にある『違い』をことされに暴き立てます。そして、自分たちと違うものに対する憎悪と排斥の感情を煽り立て、敵を徹底的に叩くことで、喝采を浴び支援を集めようとするものです。彼らを『不寛容なポピュリズム』と呼ぶゆえんです。

「不寛容なポピュリズム」が跋扈する背景

● アメリカ・トランプ大統領、フランスのル・ペン氏そして、維新・橋下氏などの「不寛容なポピュリズムが跋扈する背景
⇒ 1990年半ば以降の市場原理主義に基づくグローバル化が、この世界の言語に絶する貧困と格差の拡大をもたらした。
⇒ ビル・ゲイツ氏をはじめ世界の富豪8人の資産が、下位36億7500万人の総資産を上回ったという富の偏在
⇒ 米国では、上位1%の総資産が下記90%の総資産を上回ったと言われている
⇒ 日本でも、上位40人の総資産が下位50%の持つ総資産額を上回っていた

「不寛容なポピュリズム」への中間層の期待と妄信

⇒ 貧困と格差の拡大は、少しだけましな暮らしを享受してきた中間層を崩壊させ、その境遇を不安定なものとするとともに、「自分たちばかりが重い税負担をしているのに何の恩恵も受けることなく、税金を納めていない貧乏人や年寄りたちに、自分たちの税が食い潰されている」という被害妄想に似た重税感を広げる。厳しい市場原理にさらされ、いつ自分が貧困層に転落するかわからないという不安や、こうした被害妄想的な重税感が相まって、中間層の中に、「不寛容なポピュリズム」への期待と盲進が広がる。

⇒ 中間層は、自らの不安の原因を、新の敵である新自由主義=市場原理主義にではなく、移民、難民、民族的・宗教的マイノリティ、障害者、性的マイノリティなどに、さらには生活保護受給者をはじめとする貧困層や高齢者層に求め、「あいつらのせいで、こんなことになったのだ」という憎悪を抱きはじめる。そして、こうした憎悪あえて煽り立て不寛容とヘイトをこととするポピュリズムに現状打開を期待するようになる。

「小泉劇場」の二番煎じ

⇒ 維新政治は、2001年から2006年にかけての「小泉劇場」とも呼ばれた、小泉純一郎元首相による「日本型ポピュリズム」の二番煎じ。
⇒ 小泉政治の特徴
① 1990年代初めのバブル経済崩壊以来、低迷する経済と「失われた10年」と呼ばれた政治の無為無策に対して高まっていた国民大衆の不安と不満を激しい言葉で煽り立て、
②  「官から民へ」「改革なくして成長なし」「自民党をぶっつぶす」というように、複雑な問題を単純化し「マル」か「バツ」かの二者選択を迫るワンフレーズ・ポリティックスを振りかざし、
③  「抵抗勢力」と呼ばれたスケープゴートを設定し、これを激しく叩くことで喝采を集め、
④  「構造改革」がもたらした厳しい競争や格差と貧困にさらされて、熟慮や熟議を待つ余裕を失った国民対象の「白紙委任状」をとりつける
⇒ 維新の政治的主張は、「官から民」へを基調とする新自由主義的=市場万能主義的なものである点でも、排外的なナショナリズムや歴史修正主義の立場に立つ点でも、小泉政治の焼き直し。
⇒ 小泉氏のスケープゴートが「抵抗勢力」だったのに対し、橋下氏(維新)の下では公務員労組が主なスケープゴートに選ばれた。
⇒ そして、小泉氏の「郵政民営化」にあたるものが、「大阪都構想」という「改革」のシンボルにほかならなかった。

次回ブログに続く


    


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